後編  ひと言


―――井上選手は八王子生まれということですが、どちらですか?

「中野上町です。市役所の近くですね」

―――じゃあ、浅川のあたりで遊んだりとか?

「ええ、その近くの公園ではよく遊びましたね、名前なんだったかなー。今でもそこでサッカーやったりしています。ケツメイシの『さくら』というわりと最近の曲のプロモーションビデオにその公園や浅川の河川敷が出てきて、びっくりしましたね。浅川ではたまに流されたりしてました(笑)、けっこう流れが速いんですよね。」

―――(笑)、他にも小さい頃の思い出の場所ってありますか?

「八王子では定番ですけど、高尾山によく登ってました。父に連れられたりとか。やっぱりいいですよね、高尾山。ケーブルもありますけど、ぜったい徒歩ですよね。あとは『山田の森』っていうのがあって。小学校のときダンボールで隠れ基地を作って遊んでいました」

―――山田の森?八王子にそういう名前の森があるんですか?

「いや、山田さんというすごく立派な家があって、たぶんそれで『山田の森』なんです」

―――えっ、単なる通称?

「え、そうなのかな、みんなそう呼んでたんですけど。僕らが勝手に呼んでただけ?」
(一同爆笑)

―――他にはどんな遊びをしていましたか?

「実はゲーマーだったんですよ。子供の頃はサッカーよりもゲームしてた時間のほうが長かったかもしれない・・・。ちょうどファミコンからスーファミに入れ替わるぐらいの時期ですね」

―――えぇっ、それはかなり意外。当時、夢中になっていたゲームソフトというと?

「ファミコンのドラゴンクエスト3!パーティーは、武道家、勇者、そして僧侶を賢者に転職させるんですよ。そして魔法使いですね」

―――わかります、戦士より武道家ですよね(笑)。じゃあ、アクション系よりもロールプレイング系ですね。

「そうです。サッカーゲームはあまりやらないんですよ。今もウィニングイレブンはちょっと苦手で・・・(苦笑)」

―――じゃあ、ぜひ高木選手や戸川選手に鍛えてもらってください(笑)

 

 

―――サッカーとの出会いはいつ頃ですか?

「初めてボールを蹴ったのは幼稚園ですね。2年生になって友達に誘われて桑の実サッカークラブに通い始めたんです。父が少年野球の監督だったので、最初は野球をやらされていたんですけど、僕はどっちかというとサッカーがやりたくて」

―――お父さん、悲しんだんじゃないですか?

「いや、野球は兄貴がやっていたんで、大丈夫でした(笑)。スポーツは他にも母にいろいろやらされましたね、水泳、器械体操、少林寺拳法・・・、タメになったのかどうかわからないですけど。でもサッカーが一番楽しくてのめり込みましたね」


―――サッカーではフォワード一筋?

「いや、ポジションもいろいろです。最初は後ろからスタートして、小学6年でフォワードになったんですよ。そして中学でまた後ろのポジションになって、高校もいろいろ・・・右サイドバックもやりましたね。高3になって最終的にフォワードになりました」

―――珍しいパターンですね。フォワードの選手ってずっとフォワードってイメージありますけど。やはりフォワードが一番楽しい?

「そうですね。目立ちたがり屋なので自分に合っていると思います」

 

 

―――中学卒業後に一年間ブラジルにいらっしゃったそうですが、サッカー留学ではなかったそうですね?

「形は一応語学留学ですが本当はサッカーがやりたくて行ったんです。最初はドイツに行きたかったんですがテストで落ちてしまって・・・。ブラジルの語学は人気がなかったので無事受かりました(笑)。海外には姉と兄が二人とも行っていて、いろいろと面白い話を聞いていたので、自分でも憧れていました。両親も『行ってみなさい』という感じでしたね。
ホームステイ先ではすごくお世話になりました。その家族は12人兄弟で、長男が元コリンチャンスの選手だったんですよ。そのときは24歳ですでに引退していたんですけど、サッカースクールを運営していて、そのコートでよく遊んでました」


―――ブラジル人って、みんなサッカーうまそうですよね。ショックは受けなかったですか?

「めちゃくちゃうまかったですよ。なによりサッカーに対して異常に熱くなりますね。あとはまだ小さいのに、筋肉がものすごい子がゴロゴロいてビックリしたけれど、楽しくやっていたので、辞めようか、と思ったことはなかったですね。ただ日本は一生ブラジルに勝てないだろうなっていうのは感じました(苦笑)」

―――日本に帰ってきてからは、静岡の清水商業に進学されてます。

「ブラジルから12月に帰ってきて、受験勉強しようと思っていたら、通っていた近所の床屋のおばちゃんが、たまたま清商の下宿をやっている社長さんと知り合いで紹介してもらったんです。流れというか、なんか偶然ですね」

―――すごい偶然ですね。練習は相当キツかったんじゃないですか?

「本当に泣きそうになりました。夏休みなんか、一日9時間くらい練習してましたから。一番厳しかったのは、夏だったんですがいつもは朝8時からスタートして、11時くらいで終わるんですけど、その日は紅白戦の内容がよくないってことで13時半くらいまで伸びたんですよ。そこから休憩30分で、また14時から18時まで午後練やってましたからね。しかも夏ですから。本当に苦しかった」

―――それは厳しいですね・・・休憩30分ですか。

「休憩中、みんなでリポビタンD飲んだだけですからね(苦笑)。ありえないっす」

 

―――法政大学に進学したのはやはり地元ということでの選択?

「そうです。監督に進路相談したときにそういう希望を言ったら、法政の練習に参加してみるのを勧められて。自宅から通えたので、よかったです」

―――大学時代は、もう当然プロを目標に練習に打ち込んでいた?

「ガンガンですね。もちろん、大学だとまわりがみんなプロを目指す人ばかりじゃないので、多少の温度差はありましたけど、自分はストイックにやってました。とにかく人より多く練習しようと思って」

―――じゃあ、アルバイトなどもせずにサッカー一筋?

「はい。親もアルバイトはしないで、サッカーに打ち込みなさいって応援してくれていたので、一切しなかったですね」

―――勉強のほうは?授業は真面目に出てました?

「どうでしょう(笑)。出席するときは、ジャージかスウェットの体育会系スタイルでした。今思うと、もう少し服装にも気を使えばよかったなと思ってますけど・・・」

―――あらー。去年までヴェルディにいた柳沢選手とは正反対ですねぇ。わざわざ私服に着替えて講義に出ていたみたいですよ(笑)。

「あちゃー!偉いなー、ヤナさん。ジャージで行ってたからあんまり大学の友達できなかったのかなぁ、おれ(笑)」

―――あはは。大学時代に行きつけのお店はありましたか?

「体育会系にオススメなのは、目白台にあるカツ屋『赤尾』ですね。とにかくボリュームが半端じゃないですよ。あそこのロースカツの大盛りを食べ切れたら、相当なもんです。サッカー部は無理で、ラグビー部でなんとかなるくらいのボリュームでした。ご飯なんか『まんが日本昔ばなし』に出てくるみたいな山盛りなんですよ(笑)」
(一同爆笑)

―――あははー。じゃあ、もうこんも〜りと?

「そうそう!おばちゃん、手で白米をギュウギュウ盛りつけているだろ、みたいな」

―――それはすごいなぁ。大学時代での思い出というと何が浮かびますか?

「やはりサッカーですね。一番は得点王を取ったことかな。でも自分はキャプテンだったので、チームの成績がよかったのもうれしかったですね」

―――どんなキャプテンだったんですか?

「話をしてチームを盛り上げるというより、人より練習を頑張ってひっぱるタイプでしたね。ただ残念ながら、その姿が部員にちゃんと伝わっていたのかどうかは・・・・(笑)」

―――いやいや、最後は「平さんは、いい主将でしたー!」とか後輩からねぎらいの言葉があったんじゃないですか。

「一応ありましたけど・・・たぶんお世辞だったと思います(笑)」

―――ははは。でもご自身にとっては有意義な4年間でしたか?

「はい。それは間違いないですね。世界も広がったし、大きく成長できました。行ってよかったと思ってます」

(プロとしての思いを熱く語る後編へ)

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