顔人が喜んだ領分だけが、本当の利益だと思う
京王八王子駅前「SCENE」

京王八王子駅前にある「SCENE(シーン)」は、食通の間でも八王子きっての名店と言われる評判のフレンチレストラン。八王子在住34年になるオーナーシェフの杉野福廣(すぎのふくひろ)さんは20歳から八王子で修行を始め、いくつかの店を経験した後、18年前に「SCENE」をオープンさせた。気持ちのこもった料理をいい雰囲気の中でお客様に提供したい、という杉野さん。名料理人の視線で見た八王子は、今までとはまた違う姿を見せてくれた。


杉野 福廣 さん

八王子での修行時代

――「SCENE」開店までのお話を聞かせてください。

生まれは函館です。もともと読み書きソロバンが苦手でしたが料理は好きだったので、高校を卒業してすぐに地元の「五島軒」というレストランに一年半くらい勤めました。五島軒は函館では「結婚式を挙げるならここ」というくらいの、150年の歴史のあるお店でした。そこで修行するうちに本や雑誌も買って勉強するようになって、その雑誌に、「フランス労働許可証発行」という広告があったんです。それが大阪にある現在の辻調理師専門学校でした。よし、俺もフランスに行ってやろう、みたいな気持ちで大阪に出て1年間勉強して、就職活動で「小さくてもいろいろ学べるところをお願いします」と言ったら八王子で岡崎秀男という人の「プルニエ」というお店を紹介されて入ったんです。二十歳の時ですね。

当時、私は岡崎さんが有名な方だとは知らなくて、後年、岡崎さんが亡くなったときに新聞に出た「幻の名コック死去」という記事を見て、うわ、すごい人に教わっていたんだな、と驚いたんです。ただ、料理をこうしなさい、ああしなさい、と言われた記憶はあまり無くて、一番簡単だと思っていることほど難しくて、一番難しいと思っていることほど簡単なんだよ、とか、料理には「裏」と「表」と「決め手」と「逃げ手」があるんだよ、みたいなチンプンカンプンなことを常に言われて、当時は何言ってんだこのオヤジ、と思ってました(笑)。

例えば「目玉焼きが一番難しい」と言われましてね。目玉焼きをご注文になるお客様が10人いれば、一人はレア、一人はよく焼いて、一人は焦げ目をつけて、一人は両面を焼いて中の黄身は生に、など様々な好みがあって、10人全員からOKをもらうのは不可能に近い、と。しかしビーフシチューは3時間半ゆっくり煮ていれば誰もが美味しいと思うものが出来るんだ、とか、誰も見ていないと思っていい加減なことをするなよ、必ず誰かが見ているんだ、上のほうからおじいちゃんおばあちゃんが見ているんだよ、みたいな、まあ料理哲学というか人生哲学みたいなことを26歳くらいまで言われ続けました。でも、それは今思えばナルホドな、ということばかりで、その経験がやっぱり、今の自分のバイブルになっていますね。



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――修行時代からずっと八王子にいらっしゃったんですね。

そうなんです。八王子で「プルニエ」、「ビストロ・サンジャック」、「ポアソン」と経てきて、24年前に「シェ・ルイ」というお店を開店して6年、そこで現在のビルオーナーのご夫妻がどこの馬の骨か分からない私の保証人になってくださって、18年前にここ京王八王子駅前に「SCENE」を開店出来たんです。

よく八王子の街は保守的と言われますね。昔から住んで歴史を作ってきた人たちだけで構成していて、よそから来た者を余り受け入れないところがあったそうですが、どういうわけか私は八王子の名士の方たちに大変よくしていただいて、本当にそういう意味では人にもスタッフにも恵まれてやって来れたな、と思っています。

「SCENE」に込めた思い

――「SCENE」という店名の由来をうかがえますか?

食事はやっぱり雰囲気が一番大切だと思うんです。一流の料理人が最高の材料で作っても、パートナーと喧嘩していたら、美味しくないどころかテーブルをひっくり返すぐらい不味いですよね。環境や雰囲気は料理そのもの以上に重要なスパイスなんです。私たちは、楽しく食事をしていただきたいというメッセージを直接ではなく、いい雰囲気作りに込めたいんです。「SCENE」という店名にはそういう思いがあるんですね。記憶に残るシーンってありますよね。例えば誕生日や初デートの記憶を、食事を通じても残していただきたい。そのための料理を作る人間、運ぶ人間として生きていきたいんですね。そういう場面をどこまで大事に出来るか、お客様に喜んでいただけるようにどうすればいいかを常にイメージしながら、火を優しく入れたり強くバッと入れたり、ソースを濃厚にしたり柔らかくしたり、いろいろ工夫をしながら、料理とサービスと笑顔でお客様の思い出に残るイベントを盛り上げて、素敵なワンシーンをお客様に提供させていただきたい。

でもそれを考え過ぎればぎこちなくなるし、考えなければ出過ぎてしまう。お客様や状況によってプラスに振れたりマイナスに振れたりする私たちの心の状態を調整しなくちゃいけないわけですよね。それは本当に難しいけれど、ちょうどいい心の状態にするにはどうすればいいか、そういう思いの中で私自身もスタッフ一同もがんばってやってきました。

第2話「自然に囲まれた八王子という『顔』」に続く