顔浅川流域市民フォーラム副代表 松尾圭庸(まつお よしのぶ)さん 「かつて遊んだ浅川の
松尾圭庸さん
日本釣振興会役員、三多摩釣連合会会長、八王子体育協会釣部代表も兼務

八王子・中野上町で生まれ育った松尾圭庸さんは、現在、浅川とその周辺の河川流域の良い環境を守り、いい川を作るための有志の意見交換や交流、行政への提案、などを行っている「浅川流域市民フォーラム」の副代表を務めている。浅川は陣馬高原周辺を源流とする北浅川と高尾山周辺を源流とする南浅川が市役所付近で合流し、その12キロ下流で多摩川本流に注いでいる。八王子の原風景の一つとも言える河川だ。幼い頃からの遊び場だった浅川に今も関わり続ける松尾さんに浅川の過去、現在、未来についてお話をうかがった。


第1話戦後大きく変わった浅川の流れ

少年時代の川の思い出

私は生まれも育ちも八王子の中野上町で、途中10数年、平岡町にいたのを除けばほぼ60年ここに住んでいます。川に関わる活動をするようになったのは釣りをしていたから、ということもありますが、たまたま自宅から浅川まで、距離にして100メートル無いぐらいでしょう。染料商だった親父に連れられて魚取りに行ったり、子供のときから親しんで暇さえあれば川で遊んでいましたから、最近よく絶滅危惧種なんて言われている“川ガキ”の一人だったのかもしれませんね。もともと生き物とか昆虫とかが大好きで、それがそのまんま大人になってしまったんです(笑)。

戦時中は空襲で浅川へ逃げていったことも何回かあります。火は川へは燃え移りませんから。8月2日の八王子大空襲の時は小学校5年生で、強烈な体験でしたから、今でもよく憶えています、他のことは忘れてもね。


―― そのときは浅川の河原から空襲の状況をご覧になっていたんですか?

現在の萩原橋

ええ、川から市内が燃え上がっているのが見えました。あの時は八王子の市内地から中野地区へ橋を渡って皆さんどんどん避難してきました。結局この辺は燃えなかったけれど、それから15日の終戦までの間にも何度か空襲で避難しました。親に連れられて、この間焼けたところはもう燃えるものがないから逆に安全だって、萩原橋を渡って市内に逃げたこともあります。住民もそんな知恵を出したんですね。

大空襲では市内側は堤防わきの50メートルくらいを残してもうほとんど焼けましたが、まだ戦災で焼け残った建物がいくつかありますね。大横町や平岡町あたりにもあります。元本郷町は結構焼けてしまったけれど多賀神社は残りましたね。


川をめぐる環境の大きな変化

―― 以前の浅川の様子はどんなだったのでしょうか。

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萩原橋より上流の山並みを望む

戦前から戦中にかけては、だいたいどの川でも水量が今とは全く違っていました。浅川にも大人でも背が立たない淵が、暁橋から鶴巻橋の少し上流までに数箇所あったと思います。それくらい水量が多い川だったですね。

水量が減ったのはやはり戦後の政策で、山の広葉樹を伐採して経済効果がある杉を植林したことが影響しているんじゃないでしょうか。八王子、多摩地域は山が浅くて比較的植林、造林が簡単だったので、全面的に杉林になってしまいました。杉林には保水力が無いですから、雨が降るとそれが川に流れ込んで急激に増水して、その後いきなり水かさが減ってしまう。この繰り返しが川を荒らすことにもなります。

雨の降り方も昔とはかなり違って、急に局地的な大雨が降ったりします。大雨のたびに集中的に流れる箇所の川底が掘られて、澪筋(みおすじ)が決まってしまう。根本的な解決のためには上流の山に広葉樹を植えてもらわないと駄目でしょうね。さらに浅川は平均勾配約1/160という関東でも三本の指に入る急勾配です。特に長沼橋から上流の落差は大きくて、流れが速いので余計、川底が掘られてしまう。ナメ(上総層)と呼ばれる河床もかつてはあんなに露出していなかったと思います。

浅川合流地付近の露出した河床(南浅川)

もう一つ大きな違いは河川工事が進んだ点ですね。河川を管轄する国土交通省は「市民の生命・財産を守るためには本提をまず守らなければならない」という立場ですから、浅川全体に低水護岸を作って本提を守るのが河川整備の主目的になります。確かに終戦直後は浅川が大水になるといつ破提するかと、ずいぶん恐い想いもしました。あの当時は破提も水が堤防を越えるオーバーフローも多かったですから。

以前は自然石をセメントで固めた玉石護岸(たまいしごがん)で、これはそれなりに風情がありました。しかし裏に水が回って空洞化してしまう例が多く、安全性に問題があった。ですから、より安全な透水性の高いブロックを敷きつめたコンクリート護岸に直すことはある程度理解できます。


「浅川流域市民フォーラム」の立ち上げ

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北浅川と南浅川の合流(06年8月)

しかし一方で浅川はわれわれの地元の河川ですから、私たち自身も母なる川を見つめながら、有効利用しながら、遊びながら、守っていかなければならないと思います。工事をやっていただく中でも、昔のような自然が多く残る河川は出来ないものか、いい川ってどんな川なのか、それを考えて出来るだけ提案していきたかったんです。

私は釣りが好きだったので、浅川で昔のように釣りが出来ればいいな、という思いがありました。また、自然愛好団体の中には、浅川の汚れ方がいたたまれない、と水質調査をしていたグループや、どうすれば川が綺麗になるのかを考える婦人の団体もありました。他にも植物の保護団体や中小河川の堤防作りにどんな植生がいいかを考えるグループもあって、そういう八王子や日野で志や関心がある方たちの十数団体へ呼びかけて、「浅川流域市民フォーラム」を平成12年8月に立ち上げました。

仲間には全国の資料を集めて研究している人もいますし、八王子、日野には自然団体が多くありますから、そういう仲間が集まって水質調査をしたり、本流だけではなく、たくさんある支流は今どうなっているのか全部自分たちで歩いてみるということもやっています。上流にはいいところがまだまだありますよ。

また、メンバーは年一回の河川清掃のほか、それぞれの空いた時間に、河川をまわってゴミを拾ったり、動かせない大きな投棄物は京浜工事事務所へ連絡したりもしています。昔から比べますとそんな活動に参加してくださる、環境に関心を持っている方がだいぶ増えていますね。

第2話 「多くの自然が残る川づくりのために」に続く