顔世界へ発信する八王子の伝統芸能「八王子車人形」
撮影:柳本史歩
西川古柳座 五代目家元 西川古柳 さん

JR八王子駅から陣馬街道を西に向かうと、豊かな自然に囲まれた恩方に着く。この地に八王子の伝統芸能である「八王子車人形」を伝承する西川古柳座がある。
八王子車人形は、国の選択無形民俗文化財、東京都の無形文化財、そして八王子市の指定無形文化財に指定されており、西川古柳さんは五代目の家元である。八王子車人形の魅力や、伝統芸能の普及・後進の育成などについてお話をうかがった。

八王子車人形とは



第1話第1話 八王子の伝統芸能「八王子車人形」

一人で操る人形芝居、八王子車人形

―― 八王子車人形の魅力とはどんな部分でしょうか?




 魅力は人それぞれだと思いますが、八王子車人形は人形芝居ですから生身の人間が演じる表現方法とは違い、我々は浄瑠璃を基本としていますので、太夫(浄瑠璃の語り手)さんに浄瑠璃を語って頂き、それに合わせて人形を動かす、言わば作業のようなものなのです。人間と同じ動きをしてしまうと、それは人間の芝居になってしまうわけで人形で演じる意味がなくなってしまいます。我々が人形で表現していくには、太夫さんの語りの中に込められた喜怒哀楽を自分なりに解釈して、それを人形に置き換え表現し観客の皆様にお伝えしなければなりません。浄瑠璃を熟知なさっている方でしたら、話の設定や情景が人形が演じなくてもお解かりになるわけですから、そのまま浄瑠璃の説明のようなものになってはつまらない。だから人形を遣って演じるということは、その語りの奥に秘められたもの、目に見えないものを人形遣いが表現することによって、観る方のイメージがより深まり芝居が大きくなるわけですよね。意外ですが、役者が顔の表情や動作で表現する以上に、人形はもっと奥深いところを表現することが出来るのです。つまり、人間の所作だけでは、表現できないものを人形には表現することが出来る。それが人形芝居の魅力ではないかと思っています。

―― 習得までには、どのくらい時間が必要でしょうか?

 だいたい10年が目処です。でもそれは基礎がやっと出来たというぐらいの事で、やはり習得となると、とても難しくて、一生かかっても出来ないかもしれない。10年人形を遣っていたからといって、人形が自分で動くわけではないですから。人形遣いが人形を通し感情を表現するというのは、ある意味自分の生活そのものが人形を通して出てしまいますから、日々自分自身を磨き上げていかないと観客の皆様を魅了する芝居は出来ないと思います。それは、役者も同じではないかと思います。この仕事にはゴールが無いのです。試験みたいなものも無いですしね。ですから習得したとはとてもいえないが人形と一体となって動けるようになってきたかなと思えるようになるのがだいたい10年ぐらいということです。その後は、個人の「志」の問題もありますね。器用な人より不器用な人の方が良いのではないかと思ったりします。出来る人は、自分でゴールの線を引いてしまう人が多いような気がするけれど、それが出来ない人でやる気のある人は、自分で努力をしようとしますよね。必要なのは、地道な積み重ねの段階で頭で考えるのではなく、体に覚えこませること。その上で、様々な舞台を観たり、見聞を広めたりすることによって、そういった事が体に自ずと入り、人形の表現となって現れるのだと思います。


五代目襲名、そして迷いの修行時代

―― 五代目西川古柳への襲名についてお伺いしたいのですが?

 初代の古柳は、飯能(埼玉県)生まれの山岸柳吉という方で、うちの家系ではないのです。山岸さんは、江戸の三人遣い(文楽)の遣い手だったのですが、幕末の頃に他にあった様々な芸能に押されて、三人遣いを諦め、昭島の造り酒屋に修行に入り、その時に一人遣いの車人形をつくったのです。この車人形を初代の古柳の時点で引き継がなかったものの、弟子であった柳時という者が古柳に昇格して、二代目を継いだわけです。そのようなかたちで二代目、三代目ときて、四代目が私の父なのです。父はこれまでの継承のやり方ではなく「自分が元気なうちに襲名させたい。」また「引退はしないけれども、座員を見守りながら自分もやっていきたい。」ということで、じゃあ少し早めに襲名披露をしましょうという事になり、父は柳峰と改め、私は平成八年に五代目西川古柳を継ぐ事になったわけです。


―― 修行時代に苦労されたことって言うのは?

 子供の頃からこういう環境の中で育ちましたから、僕自身車人形を継ぐのは当たり前だという考えでしたので、車人形の稽古は12歳になった頃から始めていました。それでも年頃の中学生・高校生ともなると、恥ずかしいじゃないですか。ですから、「何で車人形やらなきゃいけないんだ!」と心の中での葛藤がありましたが、それでもずっと休むことなく人形を続けてきたのです。一番大変だったのは、人形の修行というよりも自分自身との戦いだったような気がしますね。僕が、この道でやって行こうと決めたのは29歳の時だったのですが、やっぱりそれまでは、迷っていたのです。そんな時期に三人遣いの文楽さんのところで修行をしてみないかという話がありましてね。募集の年齢制限が丁度29歳だったので、この機会を逃したら一生後悔すると思いまして決断をしたわけです。それまでは、「井の中の蛙」で、結構好き勝手なことをしてきたのですが、いざ他人の飯を食うと、今まで積み重ねてきたものが無意味に思われてきたのです。一から修行をやり直さなければならないと。曲が説教節から義太夫に変わろうとしてきた時代で、音楽性も強くなり、きちんと間(ま)を踏まなければならないし、根本的なものが根底から覆された感じでした。しかし、今思うと、文楽で勉強した事は、すごく良かったと思う。人形を遣う事、芸の厳しさはもちろんのこと、礼儀作法、自分に対する厳しさの必要性、人として大切なことを一気に教わることになったのです。今の僕があるのは、辛かった文楽修行があったお陰です。