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八王子の活性化をどうするか?

店頭に立つ黒沼章氏
  ――八王子の活性化のための取り組みについてうかがえますか?
私は商工会議所で副会頭をやっていたこともあって、ただ儲かればいい、というのには抵抗を感じるんですよ。やっぱり活気のある物販の町を作りたい、という考え方でね。
副会頭だった当時、大店法(大規模小売店舗法)というのがあって、大型店が出店申請をすると、商業者や住民、識者も入って検討委員会で地元への影響を話し合って店舗の大きさを調整した。われわれ商業者の立場は、大型店舗の出店に際して、地元店舗とのバランスを上手くとりながら町を発展させよう、というものでした。ところが大手スーパーや市場開放の圧力で大店法が緩和されていって、検討委員会はもう必要ない、と言われるようになった。しかし私はこういう時こそ必要だと思ってね、商業関係者だけでも委員会を作りたいと思って動き出した。
  ――具体的にはその委員会でどんな対策を考えたんでしょう?
ちょうど日経流通新聞の記者が「検討委員会が解散して副会頭の黒沼さんだけが頑張って新たな委員会作るというのはどういう理由ですか?」と聞きに来たんです。
例えば現在の八王子駅ビルが出来たときは、以前から八王子にあった百貨店が大打撃を受けて撤退してしまった。本当だったら共存共栄がいいでしょう? また、不動産屋が手放しで好きなようにやって、八王子の周辺部のあちこちに大型店が出来たら、中心部には人が集まらなくなってしまう。だから、中心部に近い横山町や八日町で2000平米の店舗申請があったら4000か5000にしろ、と言う。町の外郭に2000平米の店を、と言ってきたらそれは駄目だ、と1000平米ぐらいにする。そうやって調整して中心に人が集まる町を作ることを考えないといけない。日経記者にそう言ったら、それは賢人的な考え方だ、と言っていた(笑)。
賢人的かどうか知らないけれども、私は商業者としてそういう意思を持って町を作ることが必要だと思う。その調整をやっていきたかったけれど、その後大幅な規制緩和になった大規模小売店舗立地法が成立して、調整そのものができなくなってしまった。さらに不動産屋にいいようにされて八王子はマンションの町になっちゃった。昼間人口が少なくて夜間人口が多い、カラスや雀と同じで、寝に帰ってくるだけの町にね。



現在の黒沼鰹節店看板
――昼間よそでお金を使ってくるから地元が豊かにならないのですね。
そうです。これは、行政、商工会議所、商業者それぞれに責任があったと思う。私もその一員だったわけですが。かつては町田からだって八王子に買い物に来てたんだから、その頃の賑わいと比べると今の八王子の町は駄目になっちゃった。
1971年に八王子で全国初の「日曜日はノーカーデー」っていうのをやったんです。そうすると人が集まる日曜日に、八王子はノーカーデーで入れないから町田へ行こうってことになる。津久井あたりの人たちもみんな町田に行ってしまう。そうやって結局、八王子から人を追い払うようなことになってしまった。それが八王子の衰退の始まりでしたね。ノーカーデーも批判が多くてそのうち無くなってしまいましたが。
やっぱりリーダー格の人は町全体が発展するためにどうするか、という考え方を持たないとね。そういう人材が出てくることを期待したいですね。
――いろいろ有益なお話を有難うございました。(了)