美大の写真専攻って どんな勉強をしているの?

柳本尚規教授 造形大の暗室で

19世紀に登場した写真は、それまでの主観が支配する記録や表現の領域に、感情や感覚に左右されにくいカメラという機械による記述を持ち込み、印刷技術の発達・普及とともに、それ以降の視覚的記録や表現を大きく変貌させる原動力となった。この「写真」を大学で学ぶことについて、東京造形大学で長く写真教育に携わってきた柳本尚規教授にお話をうかがった。

日常を見つめなおすことから始める写真行為
――東京造形大学は1966年の設立時から、「写真」を独立したジャンルとして教育してきた、美術大学の中でもユニークな存在ですね。

ええ。造形大学が写真を重要視してきたのは、写真が視覚表現を大きく変えたその原動力、つまり変貌・変革の意欲をかきたてる力、批評精神ともいえるでしょうが、その写真の持つ力を身体化したい、身体の生理に自然化したい、と考えてのことなんです。写真を撮ることは、目にうつる現実とカメラにうつる現実は違うという前提に立って、ものごとには多様な意味、価値があるということを身をもって知る機会なんだ、と思っているんですね。

ですから造形大学では、身近な日常生活を写真で見つめなおすことからスタートします。この時点ではデザインや美術といった専攻の違いは問題になりません。一定の写真体験を経て、つまり写真を生理化して、それからそれぞれの専攻の学生が自分の勉強に役立てていけばいいと思うのです。そのために写真を<技術><社会><表現>という三軸によっていろんな学習ができる科目を編成しています。

――その三つの軸についてもう少しご説明いただけますか?

三つのうち<技術>と<表現>は実は表裏の関係にあります。写真は常にテクノロジーと密接な関係を持って、刻々と表現の内容やジャンルを変化させてきました。つまり写真技術の習得は表現の幅と撮る対象を広げることにつながるわけです。そういう効果を期待して、この二つを分けているんです。

<社会>は、ものや人との関係性です。これが無い表現はいきなり個人的なものになってしまいますが、社会との接点が無ければリアリティを持てません。しかし学生にとって持つのが一番難しいのがこの社会性なんです。

例えば今の学生の情報源はほとんどテレビ一辺倒ですが、テレビの中では重大なニュースも軽い話題も並列されて、ものごとが全部等価になっています。その中で育った今の世代の目に映る社会は、かなり平坦なものになっています。先ほどの「日常を写真で見つめなおす」ことは、この与えられた平坦さの中から「ものごとを自分と社会の中に配置しなおす作業」とも言えると思います。

そういう考えですから、私たちも学生にああしなさいこうしなさい、ということはありません。いろんな学生がさまざまに写真の方法を活用していくのを見せてもらうのは楽しいですよ。なかでも写真を専攻する学生の作品から、新しい思想を発見させられることはとっても刺激的で、教師はその最初の観客・読者になれるわけですから、これを役得と言わずして…、という気分です」

現在では写真そのものが、あらゆる表現の領域で重要な基礎の一つとなっている、と柳本教授。そのため写真を学んだ人の活動領域も、写真家、美術家やアートディレクションといった視覚表現関係に限らず、編集者、執筆業、教師、美術館の研究員などの幅広い職域に広がっているそうだ。 では、実際に授業はどんなふうに進められていくのだろうか。本格的な授業が始まって一か月目の1年生のある教室にお邪魔してみた。「身近な日常生活を写真で見つめなおすことからスタートする」というテーマを担った演習授業だ。


写真専攻領域1年の授業で 最初の提出課題を持って